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資料館の沿革

更新日:2021年11月29日更新 印刷ページ表示

烏山民俗資料館の沿革

建物外観画像

 烏山民俗資料館は、山口県の旧豊浦町川棚湯町にありました私立博物館「烏山工藝館」が平成8年に閉館した際、豊浦町がその収蔵品のうち約5000点と施設の寄贈を受けたことを契機とします。
 豊浦町では、寄贈を受けた約5000点の資料に豊浦町史編纂事業などにより町内各地で収集してきた民俗・歴史・考古等の郷土資料を収蔵品として加え、平成8年6月より新たに「豊浦町立烏山民俗資料館」としてオープンすることとしました。
 平成17年には、周辺市町との合併により下関市となることで「下関市烏山民俗資料館」と名称を変更し活動をしておりましたが、施設の老朽化や展示手法、収蔵資料の保存上の問題などから、川棚温泉の中心地である湯町地区に計画中であった川棚温泉交流センター「川棚の杜」内の資料館として移転する計画が持ち上がり、平成22年1月17日に歴史ある川棚温泉の中心地に開館した川棚温泉交流センター「川棚の杜」内の資料館として、下関市烏山民俗資料館は新たにオープンしました。

カラスヤマコレクションとは?

烏山民俗資料館のコレクションの特徴として、私立博物館「烏山工藝館」の収蔵品の多くを引き継いでいることにあります。これらの収蔵資料は、柳宗悦の民藝運動の強い影響によって始まった個人収集活動を基本としながらも、私立博物館として日本のみならずアジア地域を中心とした広い地域の庶民文化や工芸資料が収集されています。烏山民俗資料館では、これらの収集資料に対して学術的な視点を加えることで継続して資料調査や収集活動を行なうこととしております。また、民俗資料館として豊浦地域を中心とした地域の民俗・歴史などに関する資料の収集、さらに川棚温泉という歴史ある温泉街に立地することから温泉文化に関する資料収集などを行なっております。

「からすやま」とは?

展示風景画像

 烏山民俗資料館の前身にあたる私立博物館「烏山工藝館」は、もともと個人宅の蔵を活用した個人展示施設「烏山民俗館」として始まりました。「烏山」という名称は、その個人宅があった場所が豊浦町涌田地区の「烏山」という山の麓であったことから付けられた施設名です。
 その後「烏山」という施設名称は、烏山の麓を離れ、川棚地区へ移転し私立博物館となった後も引き継がれました。そして「烏山」という名称は豊浦町内の展示施設の代名詞となるとともに収蔵品を特徴付ける名称として、地域住民だけでなく観光客を含む多くの人々に周知されることとなりました。
 そのため公立資料館となった後、そして現在の川棚温泉交流センターへの移転後も資料館の収蔵資料を特徴付ける名称として歴史ある「烏山」という施設名は引き継がれております。